検証を日本の重要な産業に

はじまりは

 現在のようなコンピュータを使った多様なビジネスや技術は、1969年アメリカでの IBM による包括レンタル方式に対する反トラスト法(独占禁止法)違反提訴に対して出された IBM のアンバンドリング(価格分離)政策から始まったといえよう。それまでは、コンピュータのハードウェアのみならず、 OS を含むソフトウェア、さらにフィールドサポート、システムコンサルティング、ユーザ教育等コンピュータを利用するために必要なサービスを包括的にレンタル・リースするという独占的な形でビジネスが行われてきた。当然、検証についてもその中で自己満足的に行われてきたと思われる。このアンバンドリング政策を受けて、まずハードウェアとソフトウェアが別物として独立的に扱われるようになる。

そして、拡散の時代

 こうしてハードウェアは大型計算機からミニコンピュータ、ワークステーション、パーソナルコンピュータと様々なメーカーによる適正なサイジングと分散化の一途をたどってきた。また、コンピュータの基本ソフトである OS についても同様に AT&T 社の独禁法違反の裁定を受け、 UNIX がベル研究所から多くの研究機関や大学にライセンス供与された。現在のインターネットのコア技術である TCP/IP が UNIX に実装されていたことも特筆すべきことだ。

1970年後半から80年にかけて Microsoft 、 Apple 、 SUN Micro systems といった新しいプレーヤーが誕生し、ユーザー層も特定の企業から消費者へと広がっていった。当然、検証もそのようなメーカーやベンダーが自社製品の範囲で行うようになる。こうした中でパーソナルコンピュータの世界では、 1993 年初頭(日本は輸出業不況に喘ぎ、’ 90 ~’ 92 にかけ大量採用を行ってきた大企業が、こぞってリストラを始めた時代)、 IBM と Microsoftの戦いが始まっていた。従来の企業を囲い込む商品路線を行く IBM の OS/2 と業界標準を唱える Windowsの戦いである。結果は Windows に傾き IBM はこの OS の開発を断念した

民生品へ

 それ以降世の中は Windows に染まって行く訳であるが、ここで協業による新たな課題が発生する。理論的には、 Windows の規則に従って製品を作ってゆけば全ての製品がつながり、製品供給者はメーカーに依存することなくシステムを作り上げられることができる。これは、そんな世界を可能とするのがビルゲイツの哲学であり、業界標準でもあった。大きな変化であり素晴らしい飛躍を遂げることができた。しかし、理論的に正しくても他社と協業を行っていく中では、様々な問題が出てくるのが現実である。 Microsoft 社は、この協業の世界を現実として確立するために WHQL という組織を立ち上げた。 Windows のルールに従って製品が作られていることを認定する組織である。 Windows を起動したときに窓が流れる図案のロゴマークがその認定がなされている証である。

アメリカでは、このような第三者認証を行う、 NSTL ( National Software Test Lab )社や XXCAL 社が進出してきている。

しかし、認定制度だけでは防ぎきれない不具合も多発してしまうのが現実であった。

民生品が抱えた新たな問題

  2001 年 2 月、日経新聞に『 P503i 特定サイトにアクセスすると記録されている電話番号が消えてしまう』という携帯電話の不具合についての記事が掲載された。このときメーカーは、市場から 24 万台を回収し、その費用に100 億円余りを費やした。この騒動以後、このようなトラブルは枚挙に暇がない。なぜ、このようなことが起きたのだろう。理由の一つには、これまでに経験したことのないソフトウェア規模の問題がある。携帯電話の世界では1999 年に i モードが発表された。それまで数万ステップのプログラムで動作していた携帯電話が、 i モードを実現するために100 万ステップのプログラムが必要となった。 100 万ステップにも及ぶソフトウェアの理解は人の能力を超え出しており、ソフトウエア開発業界では何らかの方策を必要としていた。 特に品質管理に課題があった。この大規模プログラムに対する問題は、携帯電話の世界だけでなく、家電や車の世界にも及んでいた。

民生品の世界に IT が本格的に入り込んできたのである。時は IT 不況の真っただ中であった。先進国の景気を支えてきた IT が終焉を迎え、韓国にその主体が移りつつある中で、先進国アメリカは金融に舵を切ったと思われる。日本は通信、家電、車と IT を組み合わせ新しい日本商品 ( 『便利な世界』 ) を世界に発信すべく走り出した。

PC の不具合発生率は 10 %、民生品は PPM オーダーに落とすべく努力をしていた。その実態は学生を 100 名集め、俗にいうモンキーテストという手法でテストを行っていた。コスト面で見ると 2000 年当時、売り上げの20 %が製品開発に、何とその 6 割が製品の品質管理が占めていた。つまり売り上げの 12 %を検証に費やしていたことになる。そこまでやっても、たまに不具合を出し、世の中から叱られるのが民生の世界であった。

日本での検証事業の創世

 前述した IBM と Microsoft が OS 合戦をやっている頃、日本においては大川功氏が率いる CSK という SI企業の中で検証を専門とする組織が誕生した。そして検証という仕事を事業にするための様々な活動が始まった。中でも東京大学久米研究室と行った検証の理論化に対する取り組みは特筆すべき活動である。久米研究室は日本に ISO9001 を取り込んだ第一人者である久米均教授が率いる研究室である。この研究室と『テストケースを拾い出す理論』『テストを終了する理論』の2つのテーマで 1994 年から研究が開始された。検証という活動が工業化へ走り出した第一歩といえる。その後『テストケースを拾い出す理論』は、『システムテスト分類体系』として大成されている。こうして、 2000 年にかけてパーソナルコンピュータとその周辺機器、ソフトウェアの世界の中で検証技術は育っていった。

第三者検証事業の始まり

  IV&V(Independent Verification and Validation) の定義は『開発者や利用者、経営者から技術的、管理的、財務的に独立な組織が検証確認をおこない、その証跡を残す活動』であるが、検証を経済面と品質面でユーザーにメリットを与える事業として興せると判断し、前述した CSK という SI 企業から分離独立したのが株式会社ベリサーブである。 2003 年に東証マザースに株式を公開し、検証事業の存在を世の中に認知させた。その後、ゲームのデバック専門会社デジタルハーツ社、ポールトゥイン社と公開企業が続いた。

こういった検証事業者の立ち上がりを受けて 2005 年 10 月、検証事業の産業化を進めようとする 10 社が集まり、 IT 検証産業協会が設立された。急激に増えたソフトウェア開発の品質を確保するための技術や開発の効率化を進める技術が飛躍的に伸びたのもこの時期である。テストケースを拾い出す理論や標準工法が品質を確保するための手法であり、静的解析ツール、ソフトウエアの FMEA 、設計検証等が検証作業を効率的に行うためのツールや手法である。

そして検証を日本の産業へ

  2007 年のリーマンショックから、 100 年に一度の大不況に世界は震撼された。日本では携帯電話もテレビも韓国サムスンにその座を奪われ、わずかに車業界だけが世界にその優位性を発揮していた。そして 2009 年、トヨタプリウスが米国から品質で訴えられた。トヨタは NASA に 300 億円をかけてソフトウェアの品質検証を依頼した。 1 年後、無実が証明されたが、米国でのシェア低下等その弊害は計り知れなかった。

世界はこの抗争をじっと見ていた。『 TPP 構想等、グローバル化への渦が世界を取り込んでいる中、新たな自国産業を守る策が必要になって来た』と思わせる流れである。そして日本企業は、グローバル化が進む中での競争力を維持しなくてはならなくなってきた。

我々は、国民力もその一つの要素であると考え、日本人が持つ能力をビジネスに活かすことを考えている。検証という能力は、世界に誇る品質を作り出した事で実証される日本人特有な能力である。この能力を事業化し、『日本発の産業』に育て、グローバルなビジネスの世界に挑戦してゆきたい。

そして『便利』な世の中から『安心・快適』な世の中創りに貢献する所存である。


2015年3月11日

株式会社ブイラボ 代表取締役社長

浅井 清孝